いやーお久しぶりです、毎週書くって言っていたのにこんだけ空いてしまったね、まーそんなこともあるか、ごめんなさい。そして最近話題のプロについて書く
「プロ」って、いったいなんなんだろう。
走ることを“仕事”にしてる人たちは、みんな「プロランナー」って呼ばれる。
でも、本当にそれだけで“プロ”って言えるのかなって思うことがある。
勝つこと。結果を出すこと。
もちろんそれは大事。でも、自分が思う“プロ”って、それだけじゃない。
いくら速くても、誰にも知られていなかったら、社会の中では存在していないのと同じだと思う。
だから自分は、「どれだけ多くの人に届くか」「どれだけ心を動かせるか」。
そこまで含めて“プロ”だと感じている。
今の時代、走っているだけじゃ伝わらない。
SNSで自分の思いを発信したり、走る姿を見せたり。
そうやって人に知ってもらう努力も、“プロ”の大事な仕事だと思う。
誰かが自分の投稿を見て、「よし、自分も頑張ろう」って思ってくれたら、
それだけで価値がある。
勝ち負けの数字だけじゃ測れない“影響力”も、今のプロには欠かせない。
自分が実業団にいた頃、正直きつかった時期がある。
ちょうど世の中がコロナ禍で、試合も少なく、結果も出せていなかった。
それなのに、自分は会社から給料をいただいていた。
仕事にはほとんど行かず、練習だけをさせてもらう日々。
もちろん、恵まれた環境だとは思う。けど、心のどこかでずっと思っていた。
「これって給料泥棒じゃないか?」って。
結果も出ていない。
仕事もしていない。
それでも基本給に加えて、陸上の活動費までいただいていた。
“走ること”で会社にどれだけ貢献できているんだろうって、毎日のように考えていた。
たとえばスーパーや販売店舗を持つ企業なら、
そのチームの選手に会える、イベントが開ける、商品の売上に繋がる。
そういう“目に見えるメリット”があると思う。
でも、自分がいたような大きな企業にとって、
実業団選手が結果を出すことに、果たしてどれほどのメリットがあるんだろう?
正直、そこがずっと引っかかっていた。
そう考えると、実業団ランナーとプロランナーの違いって何なんだろう。
実業団の選手も会社にはほとんど行かず、練習がメイン。
生活の中心は“走ること”。
それって、もう立派なプロじゃない?
契約の形や呼び方が違うだけで、やっていることは同じだと思う。
“練習が仕事”の人が、“仕事の合間に走っている人”に負けることがある現実。
たとえば、フルタイムで働きながら走っている市民ランナーに負ける。
これは、やっぱり考えさせられる。
環境的には圧倒的に有利なはずなのに、それでも結果が出ない。
それって、プロとしてどうなんだろう。
勝つことも大事。
でも、勝つだけじゃなく、“見せること”“伝えること”を怠ったら、
この時代では“プロ”とは言えないと思う。
人を惹きつける力があってこそ、走る意味が広がる。
そして、結果と影響力、その両方を持っている人が、本当のプロだと思う。
結局、“プロ”の定義って曖昧だ。
でも、自分はこう思う。
「お金をもらって走る」だけがプロじゃない。
「走ることで誰かを動かす」人が、プロだ。
これからの時代、速さだけじゃなく、見せ方や伝え方も競技力の一部になる。
どう走るかと同じくらい、どう生きるか、どう発信するか。
それを磨いていくことが、次の時代の“プロ”の形になると思う。
自分も、結果を出すのはもちろん、
見てくれる人の心を動かせるような発信をしていきたい。
自分が何かを伝え、誰かの背中を押せる存在に。
それが、自分の思う“プロ”という生き方だ。

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