書けなかった期間のお話

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皆さん、ご無沙汰しております。って言っても、ツイッターでは時折つぶやいていましたから、久しぶりってわけでもないですかね

久しぶりの更新なので誤字脱字やおかしな日本語に関してはすいません。書き続けないと、鈍るんだなと今かなり感じております。

本当になかなか書けなくてすいませんでした。今回は何があったか書きたいと思います

これを見るにあたって、一つだけお願いがあります。これを見て、心配しないでください。書く理由はこんな自分のブログを楽しいとか面白いと言ってくれて、待ってた人に急に書くよりもこんなことあったんだよーってちゃんよ伝えたほうが、変な憶測や心配されることもないんじゃないかと思いまして。心配されるようなことを書きますが、心配しないでください。今は、元気に生きていますので!

んで、今までなかなか書けなかった理由は、自分のうつの病気を闘病?っていうか、向き合う?って来ました。書こうとすると涙が止まらなくてなかなか書けませんでした。もう治ったみたいな書き方ですが、まだまだ病院に2~3週間に一回通い、毎日抗うつのお薬を飲み、寝る前にはトラウマとか嫌な思い出が一気に思い出してしまい叫んだりしてしって、興奮を抑える薬と睡眠導入剤を2錠飲んで何とか寝たりしています。

今はピーク時よりもだいぶ落ち着いています。一番ひどいときは、本当にしんどかったです。走りに行きたくてもなぜか外に出ることができなかったり、普通に親と会話をしていて急に涙が止まらなくなったり、一番よくない、睡眠導入剤とお酒を一緒に飲んで無理やり寝たりと。正直、自殺を考えました。別に死にたいわけではありませんが、こんなに苦しい気持ちをあと何十年耐えるのは正直きびしいなと思い。よく、線路の前に座ってこれで終わることができたら、どんなに楽なんだろう。あと一歩の勇気でって考えたりしました。

こうなってしまった理由に関して、色々な理由はありますが箱根駅伝が大きかったです。

箱根駅伝が僕のことではなくて、僕の周りのことを大きく変えてしました。

大学の時はほとんど気にしていませんでした。多分、仲間たちがそんな感じを出さないでいてくれたからってのと、先生たちのおかげだと思っています。

卒業してからが本当にしんどかった。うまくいかなくても、自分なり頑張ろうしているときに、大学の時のほうがやる気あったんじゃないって言われたときは、そういわれても仕方ない結果だったから言われて当然だったかもしれないが、身近に言われるのは本当にきつかった。SNSで言われる分には構いませんでしたが、やっぱ直接ってのはきつい。僕のやる気自体は何も変わっていないのに、僕は僕のままなのに
それに、箱根駅伝の時にたくさんの友達が寄ってきて、卒業したと同時にみんな急に離れていきました。これも本当にしんどかった。自分に魅力はないし、今まで人に言えないような悪いこともやってきた人なので、箱根の時にたくさん集まって終われば去ることは別に何と思いませんでした。けど、やっぱ、友達は終わっても友達のままでいてほしかったな。

あまりよくないと思いますけど、ちょっと前まで箱根駅伝なんか優勝しなきゃよかったって思っていました。そうすれば、こんなことにならなかったんじゃないかって。走れなかった人や、優勝した時に喜んでくれた人に悪いと思いますが、本気でずっとそう思っていました。

じゃあ今はどうなんだといわれたら、正直、わかりません!!!笑

あの時の自分は本当に自分なのかなと思うくらいキラキラしていて今の自分とかけ離れすぎていて。自分でキラキラって言うのは気持ち悪いですが。

でも、優勝してよかったなって感じています。少し落ち着いてき、箱根駅伝のおかげでいろんな景色を見ることができたし、箱根駅伝のおかげでたくさんの仲間ができたし。優勝してたくさんの人に喜んでもらえたし。

それに生きていてよかったなって思います。

甥っ子と姪っ子が生まれたんですよ!甥っ子はもうすぐ2歳。姪っ子は半年くらいかな?本当にかわいいんですよ!両親が孫をかわいがる姿を見て、自分もこうやって家族やじいちゃんばあちゃんに可愛がられてここまで来たんだなって。それに、甥っ子姪っ子に何かあったらと心配によく思うことがあるんですよ。でもこれって同じように、親も、兄弟も僕に思っているんじゃないかなって。そう考えると、生きていて良かったなと

でも、やっぱりいまだに、たまに思います。こんなつらい思いをあと何度耐えればいいんだろうって。けど、もし実行したら自分は解放されるかもしれないけど、身近な人はそれと同じくらい、もしかしたらそれよりももっとしんどい思いを背負っていくことになるかもしれないと思うと、何とか踏ん張れます。

んで、最初のやつに戻りますが、なんで心配しないでって言うかって、心配されるほうが正直しんどいです。だからこれを見てできれば、へー。って思ってほしいです。それだけです。
それに、本当に前に比べ本当に元気になりましたんで!!!

あと、応援のメッセージだったりたくさんの仕送りありがとうございます!今後は自分なりに、一歩ずつ頑張っていきたいと思いますので、今後も応援よろしくお願いいたします。

では、次からは前回の箱根のお話をかけたらいいなと思います!お楽しみに

コメント

  1. かずのり より:

    はじめまして、私も同じくちょうど1年前に同じ鬱と診断されて3ヶ月間仕事を離れ、ゆっくり自分の時間を過ごしました。今ではいいリフレッシュになったと思うようにしています。私の場合、
    原因は仕事での孤独感、リモートワークによるのも大きいですが、上にも後輩にも頼れ無い立場になり、毎日が期限と課題に追い回され、
    最後は寝れなくなりダウンしてしまいました。社会って、そんなものといえばそんなものですが、あまり自分を追い込んだり、攻めたりするのが良くないかな?と思たりしてます。自分がいなくても社会は回るし、しんどい時は誰かがやってくれる、そんな会社だったと思います。
    他の方は違うかも知れませんが、余り追い込まないこと、一度、立ち止まって深呼吸してからやりたいことをすればいいのかな?と思います。
    何の心配もできませんが、人生これからだし、肩の力を抜いて、再開されればと思います。参考にならないかも知れませんが、ブログ楽しみにしています!

  2. 森下 智美 より:

    こんにちは。

    長男が東海大学卒業生で同学年です。

    出雲駅伝は県の後援会でバスを出して頂けたので応援に行かせていただきました。

    勝手に応援させて頂いて申し訳無かったなと思いました。皆んなは色々と努力や悩んでいたのにただただ子供の大学だけで応援して、旗振りながら楽しんでいました。
    卒業後も勝手に応援したりして。
    新聞等でチェックしたりして。

    長男はやっとやっと卒業して、就職しましたがバンドをしたいと言って勝手に辞めてしました。連絡が取れず、ネットで住んでいた所が募集になってたのを見た時は家中で笑ってしまった位です。やっと連絡がついて、犯罪行為をしないなら何しても良いと言う事で落ち着きました。

    親はやはり、子供には幸せになって欲しい。辛くなったら辞めても良いし、逃げても良い。ただ生きていて欲しい。それだけかな。

    これからも知らないおばさんは勝手に応援させて貰いますね。

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