箱根駅伝の優勝の時のお話。走っている編

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皆さん、お疲れ様です。

自分は今後どうしたらいいんだろう。走りたい、どうにかまたって思う日々です。

とまぁそれは置いておいて、前回の続きです。僕が中継所に立ってからの話です。

中継所に立って湊谷さんを待っているときの景色、声援は今でもかなり鮮明に覚えています。

湊谷さんをまっていると、向こうの方から先導者のパトカーが行って、そのあとライブのウエーブのように、向こうからだんだんと声援が大きくなってきました。

その時はかなりしびれました。ちょっと漏らしたカモ。

そして、最後の直線。湊谷さんがタスキを渡す前に少し笑顔だったのを見て自分はスタートしました。

スタートしてすぐに、両角先生からの声が聞こえてきました。

「はい、郡司、落ち着いていきなさい、後ろとは3分半の差、聞こえたら合図を送りなさい。」

自分はかるく手で合図を送りました。そして、走る前に言われていたと通りに歩道よりではなく、道路のセンターよりで走りました。

声援がすごすぎてあっちこっち見たりせず、自分の走りに集中するためにです。

これは、決して声援が邪魔とか嫌いなわけではなく、初めての箱根駅伝、しかも先頭。今まで経験したこともないような声援で気持ちが浮ついてしまわないためにです。

走る前に舘澤にも「箱根駅伝だけは本当にすごい、耳がおかしくなるくらいすごいよ」って、本当にすごいなと思いました。

そう思いつつ、最初の1キロの通過で、監督者から「はい、郡司。2分58秒。もう少し落として落ち着いていこう。」

その時自分は「え、本当に?結構、落ち着いては言ったんだけどな」

駅伝の鉄則、突っ込んでどこまで行けるかみたいなところじゃなかったっけって。

そう思いつつもそこから3分、3分とラップを刻んでいき、3キロの通過地点で監督車からから聞こえたのは、「郡司、8分58秒(たしか)、もう少し落ち着いていこう。」

ん???って思いました。

まぁ確かに、区間記録的に考えれば3分で刻んでいくことは難しいけど、最後ビル風で結構ペース落ちて、平均ラップが落ちているんだからもう少し頑張ってもいいんじゃないかなって。

でもそういわれたので、ペースを少し落としました。

このあたりかな、六郷橋は。二回も走ったのにコースや何があったかはあまり覚えていない。

六郷橋を上ってびっくりしました。六郷橋のポイントは応援ができない。急に応援がなくなって、静かになった瞬間に耳が変な感じしました。今まで経験したことのないよう感じ。

うまくこれは伝えられなくてすいません。

先導のバイクの前にも交通整備?の車か何かがあるんですよね。その車が多分、先に六郷橋を下っていくので、沿道で応援しているか人たちはその車が来たらもうすぐ来るなってなるんですよね。

そして先導車が多分見えてきたんだと思います。

急にまたすごい応援があり、その中に飛び込んでいく感じ。あの感時はどう説明したらいいかわからなくて

ただ、走りながら「箱根駅伝って本当にすごいな」って感じました。

下って少し行ったところに家族が応援していました。

自分でもびっくりしました。どこで応援するか聞いていませんでしたし、誰が来るかなんて知りませんでした。

まぁ長男は身を乗りだ出して、僕に「あきひろ!落ち着いて行けよ!!!」って。

この時、手で合図してわかったよってやったんですよ。終わってから、ここ放送たらいいなって少し思いましたけど、放送されていませんでしたね。

そこから200mくらい言ったところに親がいました。身を乗り出して応援しているわけでも、特別特徴がある人ではないです。身長も低いんで、応援の中に埋もれていました。たぶん

なぜ気づいたかというと、すごい聞いたことのある声で「あきひろ~!」って

走りながら、「あ、お母さんの声だ」って思いましたね。

みんな、郡司ー!か、東海大ー!って中に、あきひろー!って応援はほぼほぼ身内以外いませんからね。

別に頑張ろうとか、いいとこ見せようとかはなく、ただ後でちゃんと聞こえたよっって伝えなきゃって思いました。

確かここから何キロかいったたりに、先導者の方に注意されたのを覚えています。

東海大の方聞こえますか~、もう少し歩道よりを走ってください。

そんなに寄っちゃってたかって自分の中で、ビビりすぎだなって思いました。

10km地点で、給水を阪口さんから給水をもらいました。その時にたくさん言われましたけど、監督者の声を聞かないとって思いすぎて、あんまり聞こえなかったを覚えています。

この時両角先生からは「青学との差がだんだんつまらなきなってきたぞ、そのまま冷静に。ビル風が強いから、しっかりとスポドリもとっておきなさい。」的なことをいわれました。

この時は思っていたことは、自分はまだ余裕があるし、だいぶ落ち着いて走ってきた。このまま冷静に

そこから、確か2~3km走ったあたりですかね、また先導のバイクに注意されました。もう少し歩道よりをって。

初めての箱根駅伝で、ビビり倒していたので集中するためにセンターよりって頭で何ども復唱し続けたせいで。

この後くらいに、高校の時の同期が先導にいて応援されてびっくりしました

15kmで給水は加藤さんでした。この時も何言ってるかわかりませんでしたが、任せろって意味で何かポーズ取ったんですよね、今思い出すと恥ずかしい、、、

ここで言われたことは、確か青学と離れただかとんとんだか言われたようなことと、必ずスポドリを取ってビル風に備えておけと。20kmから強いビル風と

18km手前、この時は「もうここから風が全然強いじゃん」って。足が余裕でも風がきつすぎてしんどかったです。

この辺から結構苦しい顔になっていましたね。笑っている顔ではありません。

残り三キロらへんで右折した時に、こんなところ走れるんだって思いました。ビルは大きいしさっきより人の数は多いし。この辺の応援はずっとおめでとうってばっかりでしたね。

すぐ左に曲がるんですよね、ここで最後の声掛けがありました。

この時の声掛けは、あんまり覚えていません。ただ手で何か応えたのは覚えています。

僕は「あ、本当に優勝する」って思いそしたら、一気に力が抜けてペースが落ちたのを覚えています。

本当はゴールするまで気を抜いちゃいけないんですけど、すいません。この時は抜けちゃいました。

少し行って左に曲がり、残り1kmの日本橋を通ったんですが、この時残りの距離とか全く分かっていませんでした。

ただ、もうすぐゴール。もう大丈夫だって。勝った。

ゴールが分かったのは、寺田さんがコースを間違えたあの交差点で気づきました。

あそこまで全く分からず、先導車が右にはけていき、俺も曲がるのかなって思ってら、交通整備の方にまっすぐって誘導されて、あれ?って思い、前をしっかりと見たら、ゴールテープが見えました。

みんなのことは見えませんでしたが、すごいカメラの数はわかりました。

ゴールテープに気づいた瞬間に、走りながら喜びが爆発してしまい、いろんなガッツポーズをしちゃいました。

そして、ゴールテープを切ってみんなが走ってこっちに来てくれると思っていたら、みんなが向こうでタオルを広げて待っているんですよね。

ここで、郡司の謎のゴール後のスパートをしちゃいました。試合中からもっと頑張れよって感じですよね。

みんなに会えた時はめちゃくちゃ嬉しかったです。

この後は、後日書きます。優勝のゴールテープ後ってはなしで

並べく早く書きたいと思います。すいません

最後まで読んでいただきありがとございます。

なかなか更新できなくてすいません。これからも書いていくのでよろしくお願いします。

コメント

  1. おち より:

    ブログ更新してください

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