二人ならえるにならべる。二人ならえるを越せる

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こんばんは、お疲れ様です~

今回は両角先生との思い出ですね。

早く書けやって言葉が多かったので、今後載せていきます。

なぜ、この題名にしたのかですがこの言葉が自分は大好きなんですよね。

一人ではその人を超えることはできなくても、二人ならってところ。

では、本題です。

自分は合宿先ではよく両角先生とお風呂がダブることがありました。

サウナで肩をもんでくれと言われて、肩がカチカチでサウナが熱くて死にかけたことを覚えています。

しかもめちゃくちゃ長くて先に何度も水風呂に逃げて、粘りが足りないなって笑われたりしました。

自分は両角先生とお風呂は結構好きでした。めっちゃくちゃ長風呂でしたが、、、

いろいろな話ができるからです。普段はできないような話が。

自分はどうしたら強くなれるかとか、自分の良さとか、自分の悪さとか、、、

一番話した内容は、両角先生の佐久長聖高校時代のすごすぎる人たちの話ですね。

佐藤悠基さん、上野裕一郎さん、大迫傑さん、佐藤清治さん、村澤明伸さんなどなど、、、

まだまだたくさんいますがちょっと多すぎるので、この辺にして

こいつはこうだった、こいつはこうだったってたくさん話してくれました。

上野さんは最初はご飯を全然食べられなかったけど、食えるとうになってから強くなったんだとか、大迫さんはとにかく負けず嫌いで朝練からそうだったとか。佐久長聖の優勝の話も聞きました。

佐藤清治さんのことを話すときは、あれほどすごい選手は本当にいない。って

自分はこの話を聞いていて本当に羨ましかったです。

自分は両角先生に教わりたくて、東海大学に入学しました。そのあこがれの先生がそんな言い方するのは。

本当にすごいんです。そこまでやったからこそ強くなった。自分にできるか。そんな練習できるか

自分もそうなりたかった。ただ、そのすごい人たちの話を聞いていると自分には無理なんじゃないかって思ってしまいました。

ただ、先生の記憶残るような選手になりたかったです。郡司はこんなすごかったぞって。

自分は自分に甘いんで郡司こんなすごいんだぞよりも、郡司はこんな甘ちゃんだったって

自分一人では無理でしたが、自分らの世代はそのすごい人たちに少しでも並べたんじゃないかなっていう。

舘澤、阪口の日本選手権優勝とか、出雲、全日本、箱根と優勝して。

そんなこと言ったら、大迫さんは一年生の時に三冠しているからどうなんだろう。。。

超えることはできなかったかもしれませんが、記憶に残るような世代になれたんじゃないかな。

今はまだまだ記憶に新しい世代なんで今聞くのは違うかもしれませんが、あと年か経った後に聞きたいですね。

両角先生に、僕たちの世代は結構楽しかったですかって

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ちょっと今回は思い出なんですけど、何も役立つ情報じゃなかったですね。笑

ただ、これを見ている方たちも、一人では無理だったことも、二人で、みんなでなら記憶に何か残せるんじゃないかんと

まだまだ、24歳のくせにですけど、何か力になれたかな。。。

最後まで読んでくださりありがとうございます。ほんと皆さんスポンサーリンクを押してくださりありがとうございます。

これから、どんどん冷え込むんで体に気を付けてください。では

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