思い出、同期たち編①

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いや~~~

遅れました。すいません

今回は、大学時代の思い出を書きたいと思います。

まずは同期編①3つほど書きましました。今後もっとたくさん書いていきます。

ちょっとうろ覚えですが、最後まで読んでくださるとうれしいです。

あ、あと、今回からスポンサーリンクの張り方を学んで張れるようになりました。

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たぶん、クリックやタップしてもみんなには何も問題はないと思うので、クリックしてくださると泣いて喜びますのでお願いします。

押さなくても何もないので安心してください

そういうのがないとね、ダメだと思うよ

これはですね、本人にちゃんと謝れてないです。直接言うのは恥ずかしいですがここに書きたいと思います。

これは小松の言葉で、大学3年の箱根駅伝のあとに言われた言葉です。

正直、自分は大学三年生の時に箱根駅伝は走れないかもしれないと思っていました。

12月10日の箱根駅伝メンバーエントリーの直前に不注意で転んでしまって、一瞬チーム離脱しました。

その時どんどん調子を上げていった小松。

メンバーを見ていた時に自分は小松か自分のどちらかが最後の10人目だと思っていました。

どんなに調子が良くても、彼らの方が経験も離れもしているしどっちも入るなんてない。

今思うと本当に恥ずかしいですけど、自分は小松の粗探しをめっちゃしていました。

少しでも自分が走りたい。その一心でした。

自分も調子が上がってきましたし、自分も走りたいんで一人で三部練習したりしてました。

あの時はお互いに調子は良かったですが、小松の調子の良さは手が付けられないってくらい良かったです。

だから、たぶん自分は走れないと思っていました。

結果、小松は8区で自分は10区走ることができましたが、小松に会うのはかなり気まずかったというか、後ろめたい気持ちでいっぱいでした。

そのあと、なんかの後に小松から、「郡司~、カレー食べいこー」って。

正直少し、いやでした。粗探しや俺の方を使ってくれなんて思っていたんですから

ただ、なんか「いいよ、いこー」って言ったんですよね

そのカレー屋さんに行く道中に、小松から言われたんですよね

「俺のこと、走らせないようにしたでしょ~」って。

その時は笑って、俺も走りたかったからねみたいなことを自分は言った気がします。

そしたら、「でも、そういいうのがないとね、ダメだと思うよ」って言われたんですよ。

小松はチーム内でバチバチにならないと勝てないから、よく言ってました。

自分は何も言えなくなっちゃいました。

そしたら小松は笑顔で「まぁ二人とも走れたしよかったよ」って

本当に自分は情けない気持ちでいっぱいでした。

小松と二人で、どんどん力をつけていこうなみたいな話をしていた仲なのに、、、

今は本当に感謝しかないです。

この時まで自分の中で友達って感じでしたけど、今は自分のことを変えてくれた尊敬する人までいうのはちょっと恥ずかしいですけど、それくらいの友達です。

友達かいっ笑

本当に尊敬してますし、最高の親友です

だめだ、疲労でもう食えへん

阪口の故障中の夕食での一言でした

あれ?阪口故障中じゃね?って思いました。

そしたら「ウエイトとプールで追い込みすぎた。」

ふぁ???

めちゃくちゃ驚きました。

その後、阪口をよく見ていると、故障中は誰よりも帰ってくるのが遅くて、走っていないのに全然体は太らずむしろ、どんどんしまっていく

あぁ、こういう人が世界に行くんだって思いました。

自分よりも才能があってストイック。そうやったら、阪口との差は埋まるのかなって思いました。

それ以降、自分は自分なりでいいから自分なりの努力を怠るな。って自分に誓いました。

故障明けすぐに阪口は、1500mで好記録を出してみんなはすげ~よ。故障明けなのにっ。才能だなって

自分は声を大にして言いたかった。

才能も有るけど、あいつはあんだけの努力からこの結果を出せたんだ!決して才能だけで片付けちゃいけない

ただ、僕は言いませんでした。

自分で気づかないと意味がないと思っています。人に言われて気づいても、たいがい、へ~すごいっすねって終わっちゃってるような気がして、

自分は阪口以上に努力をしていた人は見たことがありません。

だからこそ、阪口は日本選手権に優勝しましたし、胸を張って世界と戦うといえるんだと思います

ゆっくりのジョグができるようなれば変わるんじゃない?

これは大学一年生の時に羽生に言われた言葉です。

この時までは自分は、頑張った分必ず強くなると思っていました。

自分は誰よりも速いジョグをして誰よりも強くなりたいと

でも、一年生の時の結果は全くダメダメでした。

その時、お風呂でたまたま羽生と一緒に入っていて、なんえ自分は頑張っているのにダメなんだろうと聞きました。

その時に羽生は「ゆっくりのジョグしてみたら?以外に大切だよ」って言われました。

まったく意味が分からず、はいはい感覚の人たちの次元の違う話ですね。って

けど、中学の時からの羽生に憧れていて、そんな憧れていた人に言われたアドバイスやってみよ

最初は全く分からなかったです。こんなんじゃ強くならないじゃん。

でも、ゆっくりのジョグをたまにしているうちに、自分の状態が少しずつ分かるようになってきました。

説明は感覚の話になってしまうので、伝えるのが難しいんですけど自分は今余裕なのか、しんどいのか、ゆっくりのほうがいいのか、速い方がいいのか、

やっていくうちに少しずつ、こういうことかってわかったような気がしました。

その結果、自分は速いジョグの方が体に合うなって思いました。

結局は戻ってしまいましたけど、今後、自分を変えた名言的なので書きたいと思っていたんですけど、

マキシマムザホルモンの予襲復讐の歌詞にある

「量りの針がさした重さ100グラムと1100グラムの針は同じ位置」

という歌詞があるんですけど、まさしくそれで、速いジョグしかやったことのない人と、ゆっくりのジョグを自分なりにやって理解した上での速いジョグは結果は一緒でも全く違います。

そのゆっくりのジョグを理解したうえで速いジョグに行きついたからこそ、だんだんと強くなってこれた自分になれたんだと思います。

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最後まで読んでくださりありがとうございます。

いろいろと思い出しながら、書いていたので遅れてしまいました

自分は本当に東海大学の先生、先輩後輩、同期を尊敬しています。

だから、本人たちは何も思っていないで普通だと思っていても、たくさんのことで自分は思い出に残っています。

そんなことを今後、他のことも書きながらですけど、書いていきたいと思っています。

拡散してくださるとうれしいです。ありがとうございました。

コメント

  1. 拓陽OB より:

    はじめまして。
    本日、郡司選手のブログを発見して、全ての記事を読ませていただきました。今後も楽しみにしています!

    私も拓陽陸上部OBです。(当時は短距離部と長距離部で完全に分かれていました。私は短距離部でしたが。)郡司さんが箱根のゴールテープを切った瞬間は最高に嬉しかったです。ついに拓陽出身の選手が箱根のゴールテープを切ったか!と。当時の月陸は、近所の本屋を3軒ほど回ってやっと買えました。那須地区の駅伝ファンが皆、郡司さんが表紙だからと記念に買ったのだと思います。

    前置きが長くなりました。本題です。
    キツかった練習ベスト3(拓陽陸上部編)をお願いします!
    ちなみに当時の短距離部では烏ヶ森の練習がよく挙がります。冬休み中は大晦日も階段を走った記憶があります。。

    • コメントありがとうございます。
      そんなに!!!ありがとうございます
      高校時代のきつかった練習は正直、あまりなかったというか、それ以上に楽しかったの方が多くて、、
      でも、考えたいと思います!今後もよろしくお願いします

      • 陸上好き より:

        小松さんとの会話なんだか小説のワンシーンみたいでジーンと来ました。いい話をありがとうございます。

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