怒鳴られたからこそたてた箱根駅伝

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今日もみなさんお疲れ様です

今回の話は、東海大学の初優勝の時の箱根駅伝特別編で、僕が西出先生に

「ポイントの時に怒鳴られなかったら、今いなかった。」

その時のポイント練習について書きたいと思います

その動画かこちら

ちょっと自分で見ていて恥ずかしいし、この時はカメラの存在に撮られてるなんて思いませんでした。

本当に先頭できちゃったよ、って思っていて周りが全く見えていなったです。

んで、そのポイント練習のことなんですが、1kmの練習でした。

自分は膝のケガ明けでできるか不安でしたが、ここでほかの練習をやったら当日また走ることはできないと思いやりました。

今まで何度も、練習、試合の前に厳しい状況はあったけれども、逃げないでやってみたらうまくいあったこともあったので。

最初の数本はうまくやれていました。ただ、中盤を終えて離れ変えてゴールをするようになってしまいました。

その次の一本。スタートして案の定すぐに遅れてしまいました。

その時に、一番最初に声をかけてくれたのは、西川でした。声をかけてくれたというより怒鳴りでした。

そんなんじゃ、箱根勝てないぞ!って。そのあとすぐに鬼塚が背中を押してくれて「ほら、粘れ!」

そんな楽なメニューじゃなかったです。それでも、みんな自分のために声をかけてくれたり背中を押してくれたりと。

そして、ラスト一本。これも、最初っから離れてしまいました。

その時に西出先生は、先頭ではなく自分に声をかけてくれました。

そんなんじゃ箱根走れないぞ!あきらめるな最後まで!!!

結局、集団に追い付けずゴールをしてしまいましたが、ラスト一本で諦めかけている自分に檄を飛ばしてくれました

見捨てないでくれました。でも、追い付けなかったことが悔しかったです。

折れかけていた心を、こんなに怒鳴ってくれる人がいるなんて、最初はただただ怒られるのは嫌でした。

でも、その時はこんな自分を見捨てないでいてくれるのに、走りが厳しくても気持ちで応えないなんてよくないなって思いました。

その時から、自分の中で甘えを一切なくしました。西出先生の檄に全力で応えてやるって。

だから、そのポイント以降は毎日、疲れました。毎日気を張っていて、毎日体のケアもやっていました。

最後の最後のポイント練習も僕は、往路組でやっていました。往路メンバーは大体決まっていました。その中に自分がいてたぶんみんなは、僕のことは補欠だろうと。

でも、僕は諦めませんでした。一切。

だから、僕はあの時、あの場所に立つことができました。

だから、自然と走る前に西出先生に感謝の言葉が出ました。

ただ、あの時西出先生はもうウルウルしていました。それを見て自分もウルウルしてしまい、しゃべり方が変になっていますし、タオルで顔を隠し涙を拭いたことは内緒で。

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今回もありがとうございました。

このことに関してのコメントが来ていたので、書いておくかって思い書きました。

当時の自分は、本当にみんなに支えられだんだんと強くなっていきました。

こうってみんなに怒鳴られ、頑張って、怒鳴られ、頑張ってで。。。。

これを見ている皆さんも怒鳴られても頑張ってください。

たまに、いやがらせ的な人もいますが、大半は期待です。

怒られているうちは花だといいますが、僕は怒られている時は自分の弱点を指摘されていると思うようにしています。

皆さんも少しでもそうおもえたらいいなと思います。いやがらせ的な人はすぐにやめましょう。

最後まで読んでくださりありがとうございます。なにか箱根駅伝のことで聞きたいことがあれば、リプでもDMでもいいので送ってください。

箱根駅伝までは毎日投稿するのでよろしくお願いします。では

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