四年生の思いと強さ

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今日も一日お疲れ様です。

絶賛体調不良で鼻の奥が痛くずーっとぼーっとしてます。皆さんも本当に体調不良には気を付けてくださいね。

寒暖の差に自分はめっぽう弱いですね。ほんと直していかなきゃと、、、、

さて、今日書きたいことは四年生の思いについてっ書きたいと思います。

なぜ、このことについて書こうと思ったかは、今日お昼にTwitterを見ていたら東海大学の記事をスポーツ報知で見ました。

その記事は、戦力外から「見返してやる」っていう記事でした。

いや~いい記事でしたけど、僕としては嘘でもいいから安定感が武器で10区を希望と言ってほしくなかったですね。

できれば、2区を希望。その気持ちで練習に取り組んできたって言ってほしかったです。

でも、今年の吉富は本当に安定していて記録会の結果を見るたびに高い水準で走れているように見られたので相当頑張ったんだろうなと思いました。

最後の年なので走る走らない関わらず、最後の最後まで頑張ってほしいですね。

他大学のことは僕はよくと知らないのでわかりませんが、東海大学では4年生になってからいきなり変わる人がいます。

僕らの代だと、特に羽田が最後は本当に変わったなと思いました。

三年生まで苦しんでいましたが、四年生になって試合では安定した結果を残すようになって、上尾ハーフマラソンでしっかりと自己ベストを更新してメンバー入りをしました。。

僕は、最初のころの羽田は友達としては好きでした。ただ、練習になると何かとできない言い訳をしていたような気がします。

怪我をしてしまうかもしれない。疲労が半端ないから。今日は抑えてとか。

もっと頑張ってみろよ!!!って思っていました。

いつ頃から変わったかは明確に覚えていませんが、四年生になって普段のいつも通りの各自でのジョグの日でした。

ジョグが終わってすぐ寮に戻ろうとしているなーって思ったら、一人でキャンパス内の下りを使って流しをしていました。

ちょっと驚いて、次の日に聞いてみたら、箱根駅伝を走りたいって言ったんですよね。

確かに口で言うのは簡単です。でも、羽田は即行動して下りの練習をして、両角先生に下りの試走に連れて行ってくれって、たぶん言っていたと思います。

それ以降は、舘澤と羽田のふたり山下りの練習だったような気がします。

四年目の羽田は本当に練習にも積極的でしたし、一日一日大切に練習をやっていたように思います。

それに4年生になってから言い訳なんてたぶん一度も聞いてないんじゃないかなと思います。

なんか途中よくわからない、チョコをこれからずっと食べないとか言っていましたが、まぁ、僕が食べさせたんですけどね。笑

羽田は16人にには入るべくして入りました。

当日は走ることはできませんでしたが、羽田はやれることは全部やり切ったともいますし、舘澤が区間新で走ってくれたので、本人もあれならしゃーないなって思っているともいます。

舘澤の区間新も羽田がいたからこその区間新だと思います。

なんで、四年目なの。もっと早くに気づけないもんかなって思う方はいると思います。

それが、気づけないんですよ。大学には誘惑が多いし、4年間しかないって実感がわくのは4年になってからだと思います。

一年目から四年間しかなって思って生活しているなんて、僕は聞いたことありません。

だからこそ両角先生は3年目が一番大切だからなっていったのかなと思います。

三年目に変わることができれば四年目は一歩先に行ける。

僕は三年生の時には死に物狂いでやっていました。だから、四年生の時には自分のやり方をしっかりとやれたのであまり失敗はなかったのかなと思います。

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すいません、体調を壊してしまって頭の中が全然回らなくて、ただ思ったことを書きました。

最後の年なので、悔いなく終えてほしいですね。

自分は、もうちょっとあれもやれたなとか思うことありますが、悔いはありません。毎日全力でしたからね。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

皆さん!!!本当に体調には気を付けてくださいね。では

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